HOME 河村甚の連載コラム 第61回『ミュージカルで社会づくり(4)「らしさ」を大切にする』

第61回『ミュージカルで社会づくり(4)「らしさ」を大切にする』

2017/07/27
チームビルディングの話をしよう
2015年4月から始まった連載コラム「チームビルディングの話をしよう」では、代表河村がチームビルディングを切り口にさまざまなテーマでいろいろな人と話し合った内容をお届けいたします。

今回の『ミュージカルで社会づくり』は、NPOコモンビート理事長として
ミュージカルを通して人材育成をしていらっしゃる
安達 亮さんをお迎えしての対談です。

▽特定非営利活動法人コモンビート
 https://commonbeat.org/
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目次

 

 

「○○○らしさ」って?

河村 甚(以下 じん)
コモンビート(以下コモビ)でも「コモビらしさ」を大切にしているということでしたね。
チームビルディングジャパンでも「らしさ」を大切にしており、
「らしさ」を軸にした組織作りというのをチームビルディングジャパンでは考えています。
ここで言う「らしさ」というのは、
一人ひとりの「らしさ」というのと
チーム、その組織としての「らしさ」
この両方を大切にするということです。
今回の対談では、コモビでも大切にしている「らしさ」の話ができたらと思います。

安達 亮さん(写真、以下 りょうちゃん)
言葉としては、みんないっぱい言うんですよ。
「コモビらしくないね」とか「コモビらしいね」とかね。
でも、みんな何を指して「らしい」と言っているのか、
そこは言語化できていないことが多いですね。
「らしい」って難しくないですか?

じん
「らしい」って難しいね。
なんで難しいのか、と考えてみると…、
「らしさ」って、もちろん内在しているものなんだけど、
その人とかその組織の中だけにあるものではなくて
違うモノ同士を比較したときに初めて見えてくるものなんだよね。
他者との関係性がないとわからない。
異質な人と触れることでしかその人らしさは見えてこない。
全員がみな自分と同じ人だったら、個性って全然個性じゃない。
外側に、自分と比べるものが何かによって「らしさ」が変わってきちゃう。
だから「らしさって何?」ってなっちゃうんだよね。
何となくの社会標準と比べて、「こうだよね」と言ってるんだけど、
社会標準をどこでくくるのかによって全く変わってくるから
「らしさ」を表すのは難しいんだよね。

りょうちゃん
そうなんです。コモビらしさはたしかにコモビらしさなんですけど、
「これ!」っていうのはなかなか決めづらいんですよ。

異質なものに触れて分かる、その順序はよく解ります。大事だと思っています。
コモンビートでは、いろんな人に会いましょう、そして自分を知りましょう、と言っています。
そもそもみんな「らしい」と思っていないんですよ。みんな「自分らしい」と思ってない。

じん
そうだよね!

 

自分らしさが消される社会

りょうちゃん
難しいなぁと思うんですよね~。
社会からは「らしさ」なんてできるだけ消せって言われてる。
個性なんてできるだけ消して過ごすことが求められている。

じん
社会に適応する、とか順応する、とかね。
そうしないと生きていけない。
いかに社会性を身につけていくか、っていうね。

りょうちゃん
会社の管理職の立場なら、個性あふれる従業員がいたとしたら
全員同じ意見を言ってくれた方が楽に決まってるから、
個性を消すようにコントロールするのが、普通の仕事の仕方だったりすると思うんです。

個性を出せと言いながらも、できるだけまとめた意見がほしいと思うのが普通だと思います。
こうなると従業員は、自分は大事にされてないのかな、とか
自分の意見を言っても、全部流されて上の人が決めてしまうことに腹立たしさを感じると思いますが、構造上仕方ないことだと思います。

そして、普段の生活の中でも、どうせ意見を言っても仕方ないとか
どんどん染み着いていってしまう。

じん
受け入れられない習慣が当たり前になってしまう。

りょうちゃん
お互いに、お互いの「らしさ」を認めていない。その考え方すらも持っていない。

そういう時に、海外に行って「そんな生き方あるのか!?」という、生き方モデルに触れた瞬間に、自分ってなんてちっぽけなところに生きていたんだろう、と思ったりとかするわけです。

ほんとは隣にいる人でも「らしさ」を受け取れるはずなんだけど、
隣にいる人でさえも、それを受け取る免疫がないということがあって、
お互いに刺激を与えていかないと「らしさ」って出てこないじゃないのかなって思います。

ダイバーシティ&インクルージョン

じん
そう思います。

多様性っていう言葉も結局、ただ多様なだけであればいいという訳ではなくて
「ダイバーシティ&インクルージョン」と言われているように、
ただダイバーシティがあればいいという訳ではなく、ダイバーシティをちゃんとインクルージョンしていく。
まず、みんな違うということを認める。そして、違うからしょうがないよね、ではなくて、異質なものが集まってちゃんと一緒になるということが必要。

その中で、もちろん「らしさ」もあるし、
個人の「らしさ」もあるし、
そのインクルージョンしていくっていうのが、自分たちらしさをちゃんと作っていくということだと思う。

りょうちゃん
本当に、インクルージョンしていかないと何も意味がないと思っています。
ダイバーシティはある種の「状態」なだけ。地球上全部ダイバーシティ。
それをどうつなげていけるか、フォーカスできるかというのが勝負だと思うんです。
個人の受け入れられる幅が大きければ大きいほど、異なるものを自分の中に入れることができる。
その幅を広げるには、自分とは違ういろんな人と出会うしかない。

じん
「幅」っていうのは、つまり自分の受け入れられるキャパシティ?

りょうちゃん
そうです、そうです。受け入れレベルみたいなね。

じん
受け入れレベルね。

りょうちゃん
適応レベル、というか。

例えば、コミュニケーションにおいて、日本人同士なら大丈夫、
外国人だけど日本語が話せる人なら大丈夫、とか
日本語の話せない外国人は無理、とか
みんないろんな「線」があると思うんですけど、
その「線を」どんどん薄くしていけるのか、新たに引き直していけるのかというのが、
適応力のレベルなのかと。

異なるものを受け入れられない理由って、
「出会ったことない」ということに近いものがある気がしているんですよ。

異質なものを受け入れ合う

じん
そうだよね。そこだよね。
出会ったことがないとわからないから、不安だから、怖いから受け入れられないってことだよね。
相手が危害を加えてくるかも知れないっていう生存本能というかね。

りょうちゃん
今、NPO法人日本ブラインドサッカー協会のの活動にも参加していて、
日常で視覚障がい者と出会う機会が増えました。
それまでは僕の人生では一切、視覚障がい者に出会ったことがなかったんですよ。
最初にこのブラインドサッカーの活動の参加へのお誘いをいただいたときに、
まだ会ったことないんだけど僕に務まるのかな、と思いましたが、
そういう人の方がいい、と言われまして。

それで参加するわけですが、
視覚障がい者の方々と会う回数が増えて、話す回数が増えて、
その人の「出来る/出来ない」を把握すると、
その人に対する受け入れ力がアップする。
出会ってコミュニケーションして、
お互いを知ることがすごく大事なんだなと感じましたね。

じん
異質なものに触れることで、受け入れレベルが上がったり、
多様性のキャパシティが広がったりするするということですね。
どんどんより異質なものに触れていくことで、
それがだんだん異質じゃなくなってくるんだよね。

りょうちゃん
今の社会構造上、障がい者の方々とは分けて生活していくようになっているから、普通には出会いにくいんじゃないかと思っています。

じん
そうか。たしかに。

りょうちゃん
だから、そもそも免疫がないんですよね。

健常者同士だって人見知りするんですから、なかなか受け入れられないですよね(笑)
大変ですよね、受け入れるって。

じん
ダイバーシティがあってセパレーションを起こしている。
仕組みで分けているかそうでないかで全然違うよね。

りょうちゃん
逆に言うと、障がい者の方々は健常者の考えていることがわからないってことも起こります。

マジョリティ、マイノリティみたいな言い方をして、
マイノリティの人たちはわかってないと言うし
僕らも彼らのことがわからないってセパレーションが起きているんですけど、

僕は障がい者の方々と会話したときに、
僕自身の気持ちってわかってますか、というのをすごく感じたんです。

障がい者の気持ちをわかってほしいというのはすごく伝わってくるし、
メディアもそれをたくさん伝えてくる。でも、そう言われたって僕はなかなか行動できないよ、っていうのも
こちら側の意見としてあるな、って思うんですよね。

じん
あぁ、おもしろい、おもしろい。

りょうちゃん
変な言い方なんですけど、そこを対等に見たときに、
視覚障がい者が白杖をついて歩くことってどういうことかわからない僕からしたら、
彼らから、視覚障がい者が歩くことの危険さ、不便さをみんなわかってくれないよね、っていう発言に対して、いや、わかりようがないじゃないか、っていうこちらの主張もあるということです。

ここにコミュニケーションという橋渡しが無いから、なんかこう変な、ズレた感じになっちゃう気がしています。

じん
それ、すごく大事だと思う。

社会の構造として、障がい者やマイノリティをイコール弱者として捉えていて、
彼らは弱者だから、弱者の声は聞いてあげなくちゃいけない、という風潮がある。

でも、ランクを作って上からアプローチをするっていう構造の中に両者とも居る状態だと、
「弱者だから聞いてもらって当然でしょ」という感じになってしまうし、
「彼らは弱者だから面倒見てあげなくてはならない」って視点に立ってしまいがち。

両者がフラットベースで、同じところに立って、
自分自身も相手がどう感じているかに興味を持つことが大事。

相手も、こちらに興味を持って、お互いが伝え、受け入れ合うっていう
お互いの受け入れ合いが起こっていないと、変にランクみたいなのができて、
そこに分離が起きたままになってしまうよね。



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