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第55回『チームビルディング研究会(4)遊びから美学』

2017年05月04日

チームビルディングの話をしよう
2015年4月から始まった連載コラム「チームビルディングの話をしよう」では、代表河村がチームビルディングを切り口にさまざまなテーマでいろいろな人と話し合った内容をお届けいたします。

今回の『チームビルディング研究会』は、本コラムで初めて2名のゲストをお招きしての対談です。

中島 久樹氏(マナビクリエイト代表 http://manacre.com
大橋 正司氏(サイフォン合同会社代表社員兼CCO http://www.scivone.com/
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目次

 

「遊び」の分類

河村甚(以下じん)
なかしーが以前話してくれた「遊び」の分類の話が興味深かったので、紹介してもらえますか。

中島久樹さん(以下なかしー)
はい。
「遊びには4つの分類がある」とカイオワという人が言っています。

1つ目は競争的な遊び。例えばボクシング、玉突き(ビリヤード)等。
2つ目は運の遊び。じゃんけん、ルーレット等。
3つ目は模擬、模倣。子どもの物まね遊びや、空想、仮面舞踏会、演劇等。
4つ目は眩暈。陶酔感・・・メリーゴーランド、ブランコ。車を運転しているときの楽しさとか疾走感とか。

大橋正司さん(以下大橋さん)
フロー状態のような感じですね。

なかしー
4つの遊びの中のどの遊びに惹かれるかは、個人によるのかなって思うんです。

僕はね、競争の遊びには惹かれないですね。競争感を感じると、すっと引く。あー、やーめた、みたいな。
運はちょっと飽きる。
模擬と眩暈は好きかな。
空想とかするのはすごく好きだし、
眩暈の方は単純な遊びとしては好き。

じん
へぇー! おもしろい!
僕はね、この4種類の中でいうと、好きなのは、競争と、模倣・模擬、眩暈は好き。
運は好きじゃない。なぜかというと、自分でコントロールできないものがすごく嫌いだから。
だから、運って何がおもしろいの?って感じ。

なかしー
じんさんは偶然の出会いとかは好き? 嫌い?

じん
偶然の出会いは好きですね。

なかしー
そういうと思いました(笑)
もしかしたら単純に会うことが好きというよりは、その出会いの後に得るものがあるから好きなのではとも感じています。

じん
「偶然の出会い」。これも言葉による意味付けだと思うのですが、
(「言葉による意味付け」については前回の対談コラム参照)
つまり、全ての出会いが偶然の出会いじゃないですか。

日常の中ですれ違ったり、電車に乗ったときにもあるかもしれないし、
日々何万という出会いの可能性がある。

それを「偶然の出会い」と意味付けるとしたら、
偶然の出会いが自分にとって意味があったときに初めて「偶然の出会い」という言葉で表現できる。

例えば、恋が芽生えたとか、そこからビジネスが始まったとか、人生の師匠になったとか。
結果があったから「偶然の出会い」と後から呼んでるのでは

なかしー
なるほど。ちなみに大橋さんはどの遊びが好き?

大橋さん
そうですね、僕は、空想的な・・・模倣の遊びは好きですね。
競争はあんまり好きじゃない。

なかしー
じんさんが競争が好きなのはなぜですか?

じん
うーん、結果が出る。結果に対して、自分が頑張りがいがあるからかな。

大橋さん
大枠でいうと、この4つの分類というのは、
ルール(規則)がどれくらい強いのか弱いのかなんですよね。

じん
あー、なるほど。

大橋さん
「神話の世界から現代まで・・・」という言い方をよくしますけど、

要するに、神話であればあるほど、呪術、
神が降臨してきて、
呪い、まじないによって、例えば病気が治ったとか
あの人は呪い殺された、とか
ルールがないんですよね。

現代になればなるほど
文明社会になればなるほど、ルールができていくわけです。

遊びの4つの分類の話に戻ると、

例えば眩暈的な遊びは根源的なもの。
賭事は文明化されている・・・という分類の仕方が可能だよね、とカイオワは言っている。

分類という権威ができたときに、それをいかにスクラップビルドするか
人類にとっての挑戦があるという・・・。

じん
なるほどね。
人によって脳のどの部分をメインで強く使っているか、という話があるじゃないですか。
脳幹だとか根源的な古い脳を使っていると
ここでいう、「眩暈」に面白そうだと感じるということがあるだろうし、
大脳新皮質とかだとルールのある勝ち負けや賭事に興味が湧くということを感じますね。

なかしー
なるほど、脳のどっちを使う傾向があるかによって、遊びも文明的なもの、野性的なもの、好き好みがでるかもという話ですね。
ちなみに、こういうどこが好きかっていうのは、何を美しいと感じるかに近いかなと感じています。

この間、別な人と話しをしてて思ったんですけど、「自然って美しいね」という人はたくさんいるのですが、自然のどこを見て美しいと感じるかは人によって違ったんですよね。
数人に聞いてみたんですけど、結構違ったんです。

じん
わー、すっごいおもしろい、それ。

美しさを感じるポイントとリフレクション

なかしー
ですよね!
で、もっと面白いところは、美しさを感じるというポイントは
その人のふりかえり(リフレクション)の行動と密接に結びついていると思うんですよ。

どういうことかというと、例えば僕は、自然の無駄のないところ、全てがつながっているところ、実はシンプルなところ、ということに美しさを感じます。理由ははっきりとわからないですが、とにかく全てが繋がって意味を持っていることに美しさを感じます。

もう一人の人はですね、
自然のコントラストとか色だとか、そういうものがすごく美しく感じると言っていて、僕とは美しさを感じる構造が違うと思いました。僕は色とかは全然どうでもいいんですので。

ちょっとじんさんにもやってみたいと思います。
じんさんが美しいと思うものは?

じん
自然は美しいと思いますね。

なかしー
自然のどういうところが美しいと思いますか?

じん
自分が自然が美しいと思うのは、
語弊があるかもしれないけれど、自然に神を感じるところが美しさを感じますね。

なかしー
自然のどこに、何に神を感じるんですか?

じん
コントロールの外にあるとか、
日本的な八百万の神じゃないけど、
自分のコントロールから外れた何かものすごいものがある感じ。
でも、その中にある、自然と自分の一体感を感じたときとか。

なかしー
具体的にはどのような状況ですか?

じん
神っぽいのを自然の中で感じた一番印象に残っている経験は、
生まれて初めて海外に行ったときに、
ヒマラヤのとある山のベースキャンプにトレッキング行ったんですけど、
そこは標高4,000m位のところなのですが、
なんかね、人が入ってきたらいけないところってあるんじゃない?
ってリアルに感じて、

人が入っちゃいけないところに忍び入って来ちゃった、やば、みたいな感じを
すごく感じて

なんかそれ、自然に対しての畏れ、みたいな。

なかしー
もう少し詳しく言うと、どんなことを感じたんですか?

じん
たぶんそこで自分が受け取ったものは、
大きさとか自然とか
ものすごく山が大きいとか、
あと静けさ
張り詰めた空気感
それなりに
気温も低くて、空気感が張り詰めてて、
基本元々都会っ子なんで、山の中に行くと人が少ない

そうだなぁ、
大きい、圧倒的な感じ、静けさ、みたいな

圧倒されたという感じですね

なかしー
それは、かなわない、とか勝てないとかいう圧倒さ?
どういう圧倒さですか?

じん
かなわない、勝てない、を超えたぐらいの感じかな。
あぁこういうのが神様ってことなのかな、という感じ。

で、不思議なことに、
自分自身もその神様であるみたいな感じというか。

なかしー
自己と神様が同一である、ような。

じん
圧倒されているんだけれども、
そこに対する畏れもあるけれど、
それって自分の中にあるとか、自分と一体であるみたいな
そんな風な感じですかね。

なかしー
・・・というときに美しいと感じる、と。

じん
そこまでのものすごい自然でなくても、身近な自然でも
美しさを感じるエッセンスってそういうところにあるな、という感じかな。

なかしー
じんさんが日頃しがちな思考というか、行動というか・・・
日頃仕事をどんな風にやってしまいがちかというか・・・

じん
失敗しちゃいがちな、というニュアンスかな
陥ってしまいがちなパターン・・・

大橋さん
なぜ感動しているんだろう、ということを
ちょっと掘り下げて聞いてみたいと思ったのですが、

大きさ、雰囲気におーっとなる
それに近い感情を仕事の中で感じることってありますか?

じん
ありますね。
チームビルディングをやっていると
人が本気になる瞬間に立ち会うことがよくあるんです。

スイッチが入る瞬間というか。
今までの自分から生まれ変わったと感じるぐらいの
人の気持ちの変化を感じるときに近いものを感じますね。

自然ではなく、人間から発せられるもの

大橋さん
秘められたものが発せられたみたいな。

じん
そこで自分の心が動くし。
それはすごく近い感じがしますね。

「本気」と「開放」

なかしー
人が本気になる瞬間の「本気」っていうのは「開放」っていう言葉が近かったりしますか?

じん
あぁ、近いかも!

なかしー
なるほど。なぜこの質問をしたかというと、さっきのヒマラヤの話で、じんさんが美しさを感じる構造は「開放」だと感じたんですよ。

じん
なるほど、なるほど。

なかしー
日頃のコントロールできているところから
コントロール外への「開放」。そういうものに美しさを感じる。

あと、人の可能性を信じているところがあると思うんですよね。
だから、開放された人は神になる、神との一致みたいなところもあるのかな、と。
どうなんでしょうかね。

じん
神と表現しているものって、違う言い方をすると、
物事の本質とほぼイコールですよね。
宇宙の真理みたいなものなんですよね。

真理、本質、突き詰めたところの一番奥にあるもの

それって普遍的に全てのものの中にあって
でも日常の中ではそこと何も接点がない、つながってないから見えないんだけれども、
何か「開放」というワードなのかもしれないけど、
本質や宇宙の本質とつながった感かな。

なかしー
これまでの話を受けて、じんさんって、本質へのつながり、開放というところを
仕事でも求めているなぁ、とすごく思ったんですよね。

じん
うん、うん、そうですよね。

なかしー
それって、じんさんが美しいと感じていることを仕事にも入れ込んでいるわけですよね。

じんさんは仕事に対してフロー状態になって集中していると思いますけど、
たぶん人は仕事とかに対してフローになるとか価値を感じるということは
自分が美しいと感じる価値基準、構造に合っているかどうかだと思うんですよね。

つまり、じんさんは「開放」という美しさの構造を仕事に上手く取り込めているので、仕事に価値を感じていると。

となると、やっぱり、自分が何に美しいと感じるのかを知ることが結構大切かなと思います。
自分が美しさを感じる構造を日々の経験の中から感じ取ること、認知することが重要。
そういう探求部分をキャリア教育に入れてもいいと思いますね。

じん
美しいと感じる構造ってどういうことですか?

なかしー
僕は美しいという言葉を、心が震えている状態というか、
「美しい」という以外にこの感じを表せない状態と捉えています。

じん
心が動いている状態?

なかしー
心が動くんですけど、それは僕が感じる「美しい」なので…

じん
……心が動かない美しいもあるかもしれない?

なかしー
ありますね。
例えば「きれい」と「美しい」は違うと感じますね。

「美しい」っていうのは、手に持っているものを思わず落としてしまうレベルです。そこには一種の感動もある。
そういう感動も入ったことを僕は今「美しい」と表現したいと思っています。

心が動かない「美しい」は「きれい」止まりのものであって、そこには感動の要素は含まれていませんね。

じん
僕もなんかイメージそういう感じで、
心を動かすというか、なんかこう
美しい何かの存在であったり、美しさによって、
自分の心が何か動く、みたいな。

美しいは心を動かすのを伴うものではあるのかなという気がして・・・
その辺は分類的にどうですか?

「美しい」とは何か

大橋さん
無茶ぶりきましたね(笑)

美とは何か、美しさとは何か。
答えが出てないし、答えがない。

何で好きなの?と聞かれたときに近い感覚だと思うんですけど、

心が震える。
これこれこういう理由で美しかった、と言葉に出せるものはもちろんあるけれど、
無意識に処理する情報も多いですよね。1+1=2ではないので、
いろんな回答の可能性がある中で、なにかカッチリはまった瞬間というのは
言語化できるとは限らない。

身体的な快感と認識が無意識の中で接続した瞬間というのが、
美しいと感じるのでしょうね。

身体的快感に似てると思うんです。
バッドで「当たりました!」という
会心の一撃について、例えばバッドの振り方などを言語化することは出来る。
でも、その瞬間の歓びを言語化できるものではない。

あそび そこはルール化できない無秩序

じん
眩暈とかに近い

大橋さん
近いんだと思うんですよ。
そこに近寄っていくからこそ、陶酔するんだと思うんですよ。

なかしー
そうそう、「美しさ」は「陶酔」というに近いです。
酔っちゃう感じ。

じん
あぁ!

大橋さん
そう、酔えること。
それは文明を超えている話なんです。

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